炎が街を染め上げる夜へ
吉田の火祭りバスツアー
バスツアー
Yoshida Fire festival Bus tour!!
年に一度、8月26日の夜。富士山の夏山シーズンが終わりを告げる頃、富士山の守護神である北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社に感謝を捧げる「吉田の火祭り」が幕を開けます。
高さ3メートルにも及ぶ約90本の大松明が、富士吉田の街のメインストリート約2kmにわたって連なり、一斉に点火される光景はまさに圧巻の一言!
夜空を赤々と焦がす炎の帯、松明の燃える音、そして活気あふれるお祭りの熱気に包まれ、五感すべてで奇祭の迫力を体感できます。
vipツアーの「吉田の火祭り」バスツアーなら、面倒なアクセスや駐車場・帰りの心配は無用。ゆったりと火祭りを観賞できる時間設定で、日本の伝統と熱狂を心ゆくまで堪能いただけます。
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吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにも数えられる富士吉田を代表するお祭りです。
開催日時 | 2026年8月26日(水)・8月26日(木) |
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荒天の場合 | - |
開催場所 | 上吉田 |
毎年8月26日、富士山の夏山シーズンを締めくくる「吉田の火祭り」が開催されます。午後、神事の後に、明神型神輿「お明神さん」と、富士山を表す「御影(お山さん)」の2基の神輿が上吉田地区を練り歩きます。
祭りの熱気が最高潮に達するのは、神輿が御旅所(おたびしょ)に奉安される夕暮れ時。
高さ3メートルにも結い上げられた100本以上もの大松明が、一斉に点火されます。約2kmにわたる道が松明の炎で赤く染め上げられる光景は、まさに息をのむ幻想美。夜遅くまで煌々と燃え盛る炎が、街全体を熱狂の渦に巻き込みます。
一夜明けた27日は「すすき祭り」。午後、再び2基の神輿が氏子中を渡御(とぎょ)し、薄暗くなる頃に浅間神社へ還御(かんぎょ)します。
最大の見どころは、神輿が社殿を練り歩くクライマックス。氏子たちが「すすきの玉串」を持ち、神輿を追って境内を巡るその時、観客も一体となって祭りの熱気は最高潮に! 富士山の守護神への感謝と、夏の終わりを惜しむ人々の思いが、神社全体を感動的に包み込みます。
炎の熱狂と、すすきの静謐な感動。二日間で全く異なる顔を見せる、富士山麓最大の祭りを体験しませんか。
「吉田の火祭り」は、毎年8月26日、27日に開催される、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社両社合同の壮大な祭礼です。
「元来、この祭りは浅間神社ではなく、上吉田の産土神(うぶすながみ)である諏訪神社の祭礼として、古くから町中で篝火を焚く習慣がありました。歴史書にも記されているように、諏訪神社を中心としつつも、浅間神社の社司や御師(おし)も関わるべき、富士山麓の地域にとって特別な祭りとして継承されてきたのです。
祭りの熱狂は26日午後に始まります。諏訪神社の神事の後、大神輿(おおみこし)と富士山を表す御影(みかげ)の2基の神輿が、参道から表通りへと繰り出し、氏子町内を巡行します。 最大のクライマックスは夕暮れ時。神輿が御旅所(おたびしょ)に奉安されると同時に、街全体が祝祭の炎に包まれます。 高さ3メートルの筍形の大松明90余本、そして家々に積まれた松明に一斉点火! 夜空を赤く染め上げ、街の温度まで上昇させる炎の帯は、まさに圧巻。日本三大奇祭に数えられる迫力を、夜遅くまで体感できます。
一夜明けた27日は、別名「すすき祭り」と呼ばれます。午後7時頃、再び氏子中を渡御した2基の神輿が、夕闇迫る浅間神社に還御(かんぎょ)します。祭りが最高潮に達するのは、神社の境内。氏子崇敬者が「すすきの玉串」を手に神輿のあとに続き、神域を巡る姿は荘厳そのものです。 夕闇に包まれた境内を、神輿、すすきの玉串、そして見物客が一体となって練り歩くさまは、富士山への感謝と夏の終わりを告げる、感動的なフィナーレとなります。
「吉田の火祭り」の起源は、富士山麓の歴史とともに深く根付いています。この祭りの中心の一つである諏訪神社は、記録から約500年以上前にはすでに存在していたことが分かっています。 さらに、上吉田の町が成立した元亀3年(1572年)の古文書『吉田之新宿帳』には、神輿が通る道筋の記述があるため、祭りの最も古い形は約400年以上前にはすでに行われていたと推定されています。 また、火祭りのシンボルである富士山をかたどった御影(みかげ/御山神輿)も、同様に400年以上前から担ぎ継がれてきたことが古い記録から分かっています。 この火祭りは、単なるお祭りではなく、富士山麓の人々の歴史と信仰を、炎とともに脈々と受け継いできた生きた文化財と言えます。
「吉田の火祭り」の起源については、諏訪神社と浅間神社のそれぞれに、神秘的な伝説が伝えられています。
諏訪神社に関連する伝説では、火祭りの神輿渡御の際に、白い蛇神や竜が上吉田の街を上から下へと下って行くと信じられています。これは長野の諏訪大社(諏訪明神が蛇体で現れるとされる)の信仰と関連しています。
御師の家では、白蛇様(しろへびさま)を迎えるため、火祭り当日の朝に屋敷内の川を清掃します。白い蛇が東の川を下り、黒い蛇が西の川を上るとされ、祭りの間は川を汚すことを戒めています。
また、武神としての諏訪明神(建御名方神)にまつわる説も残されています。
国譲りの力比べに敗れた建御名方神が、この地に敗走した際、地元の人々に命じて無数の松明を燃やさせたところ、援軍が来たと勘違いした敵軍が去ったという故事に由来する、という説です。
現在、最も広く知られているのは、富士山の神である浅間神社の祭神、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にまつわる起源伝説です。 猛火で身の潔白を証明: 邇邇芸命に疑いをかけられた木花開耶姫命は、自らの潔白を証明するため、出入り口のない産屋に火を放ち、燃え盛る炎の中で三柱の御子を無事に出産したという神話があります。 この伝説から、火祭りの火は、木花開耶姫命の火伏せ、安産、災厄除けといった神徳になぞらえ、神話の炎を再現するものとして焚かれるようになったと伝えられています。 火祭りの炎は、これら複数の伝説と信仰が融合し、500年以上の時を超えて今に伝えられています。
現在、毎年8月26・27日に行われる「吉田の火祭り」ですが、その開催日が固定されるまでには、長い試行錯誤の歴史がありました。
明治時代に暦法が太陽暦(新暦)に変わった後も、火祭りは長らく旧暦7月21日(火祭り)、旧暦7月26日(山仕舞)として行われ続けました。 この旧暦の日にちを新暦に換算すると、年によって8月中旬から9月上旬の間で祭日が変動していました。例えば、明治41年の祭日は8月19日、明治18年は9月1日と、毎年変わっていたのです。
祭日の変動を避け、新暦に固定する動きが明治末期に本格化します。
明治43年 | 旧暦7月21日の「月遅れ」として、8月21・22日で実施。 |
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大正元年 | 一時は9月9・10日とする案が出されるも、意見がまとまらず |
大正2年 | 8月30・31日に決定。しかし、この日は市町村の計算日と重なり参詣人が減少 |
大正3年(前半) | 一度、祭日を旧暦7月21日に戻すことを決定 |
大正3年 8月 |
火祭りの開催日は最終的に8月26・27日に決定 |
こうして、幾度もの議論と変更を経て、「吉田の火祭り」は旧暦の伝統を離れ、新暦の8月26日・27日という現在の固定された開催日へと落ち着いたのです。
当社ツアーでは安全運転に徹しておりますが、ご乗車頂くお客様の安全を第一に考え、従来からのシートベルト着用のご案内に加え、乗務員による目視確認を実施してまいります。
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花火大会ツアー 添乗員「旅日記」
過去に開催したツアーの様子をちょっとだけご紹介します。